地産地消

釜炊きご飯

今から四十数年前ガスも電気釜もまだ普及して無い頃、台所の火は薪か籾殻だった、ご飯は釜炊きが当たり前で、あの狐色のおこげとお米の風味、沸騰したとき釜からこぼれる泡、台所の隙間から差し込んで来るレザー光線のような太陽の光と煙、これを書いていると、その頃の情景が浮かんで来る。思うと懐かしく、また愛しく思う。美味しい御飯は、いい米と水が絶対条件であるが、その頃の飯米は政府米に出せない規格外の米を食べていたのだろうと思うが、でも釜炊き御飯は旨かった。そんな美味しい御飯を求め、釜炊きにチャレンジ、今回南部鉄器の鉄釜で炊いてみた。
2.3回チャレンジし、ついにあの美味しい御飯が再現できた。昼12時と夕方6時頃一回ずつ、まず和食処「きくすい」で提供して見た。思っていた以上の反応がお客様からあった。
写真は「きくすい料理長」 相沢和広

水沢胆沢町 小山製麺「更級そば」

当プラザイン水沢の和食処「きくすい」今大変評判の更科そばがあります。1月10日、胆沢町でうどんそば等幅広く麺を製造している、小山製麺に行って来た。社長の高橋政志さんに麺の事等、色んなお話を伺って来た。「きくすい」で使用している更科蕎そばは甘皮や細かく割れた殻を除いた、高純度のでんぷん粉、御膳粉とも言うらしい。色は真っ白でさらさらとしており、そばにしたときの口あたりのさわやかさが特徴、製粉には技術と手間を要し、それでいて少量しか取れないらしい、酒で言えば吟醸酒かなとも言っていた。贅沢なそばです。そんなそばの原料は、そば粉日本一の生産を誇っている北海道産そば粉を使用、そばを練る水は焼石岳のブナの原生林を流れる天然ミネラル豊富な胆沢川の水、そば粉と水それと長年の技術に裏打ちされた小山製麺の更科そば、さすがと言いたい。

水沢姉体ワークみずさわ(ひたかみ豆腐)

昨年の4月か5月頃だったと思うが、ホテルの調理場に一丁の豆腐が持ち込まれた。味を見てくれないか?見たいなそんな感じだったかな?何の感情も先入観も無く、豆腐を口に入れてみた、おっ美味い。何処の豆腐?何と水沢姉体で社会福祉法人、ひたかみ福祉会が障害者の作業所「ワークみずさわ」で製造していると言っていた。これだけ美味しい豆腐を障害者が作っているとは、大豆の風味と香りがとても良い、食べての口当たりがまた素晴らしいので昨年からプラザイン水沢で、ず~と続けて購入使用している。そこで1月5日ワークみずさわに行って来た。所長の近藤有慶さんに、お会いし色々とお話を伺った。大豆は宮城白目、白目大豆は、普通の大豆に比べ大ぶりなのと芽の出るところが白いのが特徴で、大豆の中では一番高価なものらしい。味は濃厚で、大豆の深い甘味と香りがいい。中でも宮城産のものは、国内一級品、にがりも赤穂の塩田天然にがりを使用していた。大豆もにがり徹底的にこだわっている。さすが、豆腐工房にも入れてくれ、作業中にも関わらず色んなお話しをさせて頂き感謝です。今年も年始めに美味しい食材探しが出来益々順調です。

岩手県胆沢町(寒じめほうれん草)

今日は出勤前に胆沢町でこだわり野菜作りをしている、小原麗子さんに会いに行って来た。今日も雪、寒い、自宅から胆沢町まで車で1時間、山から田畑まで全て白銀の世界キュキュと車が雪をかむ音がする。自宅についてお会いしたら何と胆沢町の産直センターで何回かお話しをした人だった。早速ハウス内を見せて頂た。ハウスが6棟ありそれぞれ違う野菜を栽培、春はハウス物胡瓜、冬はハウス物野菜、夏は稲作と休む暇がないと豪快に笑っていた、まさしく肝っ玉おかあさんである。6棟のハウス内は寒ジメほうれん草、小松菜、みず菜、菜花、レタスの他に20年位前から自家用として栽培している中国野菜で紅菜苔(こうさいたい)、も栽培していた。紫の茎で湯がいて食べるととても美味しいと言っていた。ここは前、田んぼなので籾殻、(豚糞、糠、牛糞)など発酵堆肥をいれ土壌改良に5~6年位かかったとも言っていた。そのハウス内で、小原さんはまだ早いと言ったが、少しちぢれ掛かった寒じめ、ほうれん草を食べて見た。オッ甘い。即購入決定

第4回うんちくを語る会

11月22日(火)プラザイン水沢にて、第4回のうんちくを語る会を開催した今回は37人の出席で大いに賑わった。生産者同士の情報交換等大変楽しい会でした。千葉知彰さん、菅原榮一さん、菅原信一さんにそれぞれ講演をお願いした一人20分の予定でしたが、皆さん気合が入ったようで少々時間がオーバーしてしまった。(笑)千葉さんは虫のお話しで地球の生態系は絶妙なバランスが保たれ奇跡に近いとハウス内の雑草を取らずほっとくと野菜に虫が寄って来る、そうするとその虫を食べる虫が別に又来る。お~面白い。会話に引き寄せられて来た、我々生産者は安心安全が当たり前それを売りに使うべきでは無いと言った。凄い、皆さん拍手。菅原榮一さんは葡萄と共にと言う演題で語り始めた。葡萄を栽培したキッカケや最愛の奥様の出合い、葡萄の栽培は失敗の繰り返しだったとか、これも家族の愛情と美味しい葡萄を作ると言う強い信念で来た、葡萄だけじゃ無い、全てにおいて言えると思う本物は続く、続ける事で必ず本物になると。菅原信一さんはこれからの栽培と演題で講演減反政策で何とかしようと14人話し合い最初は何とリンゴの栽培を考えていたとか何と講演をする先生が急遽来ず、代わりにブルーベリー栽培の先生が来たとの事、何と先生はここの土壌はブルーベリーに会っていると言われたのがキッカケと言っていた。完璧を求めるあまり未熟なブルーベリーは捨てることもあるらしい。
写真は水沢松川青果 取締役松川良之氏

民話の里、遠野(暮坪蕪)くれつぼカブ

11月の初め民話の里、遠野暮坪に暮坪蕪の商標登録をとり生産販売をしている理事長の菊池万太郎さんに会いに行って来た。今日は驚きと感動の連続だった。何からお話をしたら良いのだろか。暮坪蕪は400年の歴史があり、昔は漬物として地元の人が食べていたらしい。特にお産の前後は暮坪の古漬と味噌汁、御飯のみしか食べなかったとも言っていた。体内の毒素が出るのらしい。暮坪蕪を薬味としての特性を見出した菊池さんが販売を始めたのは平成元年、当初はまったく売れず、又営業等の出張費等がかさみ破産近くまで追い込まれる等、暮坪と運命を共にして来た菊池さんの言葉の一言、一言にとても重みを感じた。暮坪蕪ってどんな蕪?「そうですね」葉が蕪で根が曲がり小大根とでも言った方が良いのかな~畑で色んなお話を伺った、暮坪畑は殆んど農薬を使わない、雨が多いとどうしても、なんぷ病が出るらしい、収穫した4割位は商品にならないと言っていた。この暮坪蕪は必ず連作障害になり一度耕作すると5年間はこの圃場使えないとも、まして根コブ病になると何と20年間もこの圃場で暮坪蕪が出来ないそうだ。「何と言う事だ!」ここの暮坪畑の土壌研究をしに大学教授や博士が何年もかけ何十人と来て調べたが何故連作障害が起こるのか原因はまったく分からないらしい、もうここまで来ると今までの経験と自分を信じて作るしか無いと言っていた。それと暮坪蕪はこの暮坪地区にしかこの辛味が出ないとも言っていた。神秘的でこれこそ幻の蕪と言って良いだろう。帰りに袋一杯暮坪蕪を頂いてきた。ホテルに帰り早速試食して見た、この辛さと風味青々した蕪が俺の舌を満足させている。

江刺市(米里リンゴ生産組合)

10月28日江刺米里でリンゴ生産者(米里リンゴ生産組合)代表昆野祐一さんに会いに行って来た。偶然にも、昆野さんの娘さんが当ホテルの従業員なので休みを利用して彼女に協力をしてもらった。俺の自慢の愛車(ランドクルーザ)で米里の自然を見ながら25分、山の中に平らな広々としたリンゴ農園があった。農園に着いても人影が見えない。恵ちゃんがお父さんと小さく叫んでも農園のラジオに消される始末、仕方なく二人で人を探して農園の道を歩いた、道端に真赤な(ふじ)が俺に美貌を見せびらかす様に連なっている。食べたい、今すぐに、待て、待てと俺の舌が言っている。15分位歩いていたら、ず~と向こうにトラクター、いたいた、四、五人いてジョナゴールドの収穫最中だった、簡単な挨拶をし、リンゴのお話を聞いた、今から23年前に5人で始めたと言っていた。品種は、つがる、王林、ふじ、ジョナゴールド等でリンゴの葉は甘味を製造する工場なのでとても大事とも言っていたな、太陽が浴びないと赤くならない為、玉まわしをして綺麗な色をだすとも言っていた。夜寒く、昼暖かいととても甘味があるリンゴが出来るそうだ。特にここのリンゴは味が濃いと言っていた、代表の昆野さんは急に会議が入ったとの事なのでお話はこの辺で切り上げて来た、帰りにはリンゴを四種類程頂いた、早速厨房に来てから食べてみると、甘味と酸味が程よくとても濃い味がした、さすが江刺リンゴ、うまいこのリンゴをワインで味付けし和食の料理にと考えた。

我が家のキューイフルーツと無花果

先週の休みに庭に行って見たら、無花果が50~60個位連なっていた。先が少し茶色気味で柔らかい、食べようと思い中を割ると赤ワインの様な色、食べ頃かな?先ず食べてみた、う~ん、俺的にはイマイチ、夕方家族で食べてみた、娘も女房も美味い美味いと言っていた。やはり自分が作ったものには特に愛情があるらしく余計に美味いと感じるらしい。隣のキューイフルーツ棚に覗くとこれまた大き目のキューイフルーツが葉の下に連なっている。霜が降りる頃が食べ頃と聞いていたのでもう少しの辛抱です。

葡萄(大粒種)花巻市幸田

10月7日花巻市幸田に岩手で葡萄(大粒種)の先駆者、菅原榮一さんに会いに行って来た。時期的には少し遅すぎた感じがあったが、まだ少しは残っているとの事なのでお話だけでも聞いて見ようと思い忙しい中菅原さんに色々お話を伺って来た。自宅にお邪魔したのは3時頃なので簡単な挨拶をして葡萄のハウスを見せて頂いた。収穫の終えたハウスを通り過ぎ奥のハウスに大粒の赤い葡萄が連なっていた。ワオ、品種は安芸クイーンで今が丁度収穫時期だと言っていた。菅原さんにその場で食べさせて頂いた。う~ん、これは美味い、糖度が20度位と言っていたが、俺の舌はもっと糖度があるように感じた。こんな美味しい葡萄をどのようにして作っているのだろうと色んなお話を伺った、先ず何故葡萄なのかと聞いたら子供の頃に村の祭り等にしか葡萄を食べられなかった時代、祖父が庭で栽培していた葡萄を食べるのがとても楽しみだった。その頃から葡萄に興味を持ち始め何と若い頃はワインを本気になって造ろうとフランスまで行き各農家を回り色んなワインを飲んで来たそうだ。帰国してから間もなく安いワインがどんどん出て、これはでは採算が合わない思い断念した事等、親父が精魂込めた田を葡萄畑にしたときは随分怒られたと笑いながら話をしてくれた。粘土質の田を畑にする際は何年もかけ土壌改良をした、リン酸、石灰を大量に入れ天地返しをした事、毎年秋には有機肥料にと鶏糞と牛糞をいれた事、通気性の良い畑にする為それこそ大量の玉子の殻を入れたとも言っていた。甘くて美味しい葡萄を作るにはやはり葉が大事一粒の葡萄に一枚の葉が必要とも言っていた。病気の話からPTB紅菌(栄養細菌複合液)のお話等とても興味深いお話を聞いて来たがとてもこのページだけでは残念だが書ききれない程とても実りのある取材だった。

日本一のリンゴ「ふじ」江刺市愛宕

9月24日江刺市愛宕でリンゴ生産者「紅果園」の園主、高野卓郎さんに会いに行って来た。高野さんのお話は色んな所で耳にしていたし是非一度お会いしリンゴのお話を聞いて見たかった。自宅に伺って色んなお話を聞いて来た。平成12年にふじ誕生60週念記念全国コンクールで日本一(農林水産大臣賞)に輝き、ふじと同じ年齢で自分が苦しい時、このふじに随分助けられたとも言っていた。愛情を掛け土壌改良しながら木を小さく育てる、わい化栽培を導入し、味が向上し作業効率もよくなった事等、ジョナゴールドの枝変り(突然変異)モーレンズと言う品種をベルギーと許諾契約をし日本で唯一苗木販売の取引が出来るとも言っていた。リンゴ一筋に愛情を掛け47年65才で元気バリバリの高野さんにリンゴ畑を見せて頂いた、木にリンゴが一杯連なり見応えがあった。真赤な新品種モーレンズを一個その場で食べてみた、収穫時期が10日位早いせいか少し渋いが香りと風味があり高貴の味がした。

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